中学校3年生の夏休み
今の若人たちにはシンジラレナイかも知れませんが、
僕の通っていた中学校には、サッカー部がなかったのです。
これ、マジなんです!
だけどようやっと中学校3年生の4月から
サッカー部が創設されました。
僕は天に向かって何度もジャンプを繰り返しました。
が、サッカー部に入部できるのは今年の1年生から。
普段から素行の良かった僕も、さすがにこの時ばかりは
担任の先生に猛抗議をしました。
結果、僕の主張は認められませんでした。
ふて腐れた僕は、給食の牛乳を3個飲んで
お腹を壊して早退しました。
僕ができる唯一の反抗でした。
部活引退! そして迎えた夏休み
僕は狂ったようにサッカーにのめり込みました。
固定電話から毎夜、友達の家に電話をかけまくり。
ほぼ毎日、母校の小学校でサッカーをしていました。
今思えば、よくも毎日僕の電話に出てくれたと思います。
当時、僕はおよそ30人の電話番号を暗記していました。
夏休みも終盤に差し掛かった、熱い暑い無風の日、
午後から小学校でサッカーをしていました。
16人集まったので、ミニゲームを行うことに。
僕は必ずゴールを決めるてやると意気込んでシュート練習をしていたら
力んでしまい、ボールがゴールを超えて大きく飛んでいきました。
「バリリリィィン」
轟音が響いたのと当時に、僕は血の気が引くのを確かに感じました。
そう、僕は理科室の窓ガラスを割ってしまったのです。
窓ガラスの大きさは縦2m、横1m。
見事にガラスのど真ん中が割れていました。
怒られる。
これは絶対怒られる。
弁償だ。
反省しろ。
みんなを誘った張本人が窓ガラスを割るってどういうこと?
下手くそ。下手っぴ。
僕は茫然としながらもガラスを集め始めました。
するとみんなもガラスを集めてくれたのです。
嬉しくて僕は涙ぐみました。
誰かの声で、僕は裏門にダッシュしました。
裏門を出たすぐそばに、駄菓子屋さんがあったのです。
僕が事情を告げると、駄菓子屋のおばあちゃんが
知っている学校の先生の名前と電話番号を教えてくれました。
僕はそれを記憶し、公衆電話にダッシュ。
おばあちゃんは電話を貸してくれると言ったけど、
僕は丁重にお断りしたのです。
まあ中3の丁重さはどの程度か想像に難くないけどね………。
「もしもし」
「す、すいません。地元の小学校を卒業した、中3の高梨です」
「はあ?」
緊張のあまり、僕は変な言葉を使ってしまいました。
僕は国語が不得意なんです。
その後、電話口の黒川先生から導かれ、何とか事情を説明できました。
公衆電話を出た僕は、みんなの元にダッシュ。
ガラスは端に集められ、どこから見つけてきたのか、
箒と塵取りを使って、すごくきれいになっていました。
「みんなごめん。ありがとう」
これでスッキリした僕は、ミニゲームを開始しました。
キックオフです!
反省はどこへ行ってしまったのでしょうか?
1時間後、理科室の前に人影が!
あれが黒川先生だ。
僕は股間をぎゅっと握ってから、黒川先生の元に行きました。
黒川先生は眼鏡をかけ、40歳くらいの男性教師でした。
「さっき、電話した、た、高梨です」
「派手にやってくれたね」
「す、すいやせん」
「だけど、きれいに片づけてくれてありがとう」
「いえいえ。ち、ちなみに、このガラスはいくらですか?」
「うーん………6万円だったかな?」
家に帰った僕は、親に言うことができませんでした。
ピンチはチャンス
8月31日、夏休み最後の日。
あっという間に終わろうとしている夏休みに
寂しさを感じながら、僕は自転車を漕いで小学校に向かいました。
理科室のガラスを割った翌日から、小学校ではなく
空地や町営グランドでサッカーをしていたのです。
さすがの僕も小学校でサッカーをする気にはなれません。
だって6万円を払うわけですから。
理科室の窓ガラスは新しくなっていました。
「6万円持ってきたか?」
黒川先生が僕の横に立っていました。
麦わら帽子を被っている黒川先生。
「いいえ。まだ親にも言ってなくて………」
黒川先生が僕の背中を軽く叩いた。
「もうこの件は済んだ。弁償しなくていい」
「ふぇっ?」
「窓ガラスを割ってすぐに俺のところに電話をしてきたな?」
「はい」
「割れた窓ガラスの破片を一ヶ所に集めて掃除までしてくれたな?」
「はい」
「俺が来た時に、すぐに謝りにきたな?」
「はい」
「それが6万円分の行動だ。君の行動を校長先生が認めたんだよ」
「はあ………」
「ピンチはチャンスってことだ。いつでもここでサッカーをしていいからな」
「あ、ありがとうございました」
僕は深々とおじぎをしました。
この後、黒川先生にガリガリ君をおごってもらいました。
コメント